昭和23年7月4日、枇杷がたわわに実っている初夏に私は生まれました。
母から聞いた話では、生まれた時は逆子で産婆さんに何度もたたかれてやっと「オギャー」と産声をあげたようでありました。その後も重いハシカにかかったり、時にはバスの下敷きになったり幾度となく危ないことがあったようであります。
子どものころはわんぱく坊主であったわたしもそれなりに成長し、両親のおかげで高校まで進学させていただき、卒業後は家業の漁業を引き継ぎそのころには豊富にいたフナやモロコ、鮎を懸命に追っていました。
縁あって、昭和45年大阪で開催された「万博」の記念すべき年に結婚し、その後四人の子宝に恵まれました。その子供たちも上の二人の娘も結婚し、それぞれが二人の子供に恵まれ、万年青年といわれた私も四人の孫に恵まれました。
一番上の孫は、もう小学三年生わんぱく盛りであります。これも私の子どもの頃に似たのかもわかりません。それでもこれから元気に成長してくれれば言うことはありません。
少しだけそのようなファミリーを紹介させていただきます。
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